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No. | 83 | Date | 2005/ 8/31[WED]15:06 |
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Title | 「無言館 遺された絵画」 | Contributor | 西浦達雄 |
先日、京都文化博物館での「無言館 遺された絵画」の展示を観てきました。 戦没画学生慰霊美術館「無言館」の絵画が沢山展示されていました。 東京美術学校(現東京芸術大学)出身の画学生や 帝国美術学校(現武蔵野美術大学)の画学生、 そして絵を描くことが好きで好きで、独学で懸命に絵を描き続けた若者達の絵画です。 それぞれの絵には作者の当時の状況や心境が、 私達に直接語りかけてくるように記されていました。 遺された御家族からの、こんな言葉がありました。 「達者か・・・・・早く帰ってこい・・・・・おまえには芸術があるぞ・・・・・。」 「軍隊から帰ったらアトリエを建ててやる・・・・・と父は約束していた。」 この言葉から、私はあの吉田松陰が遺した辞世の句を思い浮かべます。 「親を思う心に勝る親心 けふのおとづれ何ときくらん」 親が子を思う気持ちは子が親を思う気持ちよりもなお強い。 親は今日の私の姿をどのように思うだろうか。 また、本人の切実なる 「あと五分、あと十分この絵を描かせてくれ・・・・・ 小生は生きて帰らねばなりません。絵を描くために・・・・・。」 「お姉さん・・・・・生きて還ったらぼくをパリに行かせてくれますか・・・・・。」 「兄さん、かならず帰ってきてくれよ。ふたりでりっぱな絵描きになるんだから。」 「戦場にあっても一人の画家として人間の姿を描いてゆきたい。」 こんな思いも遺されていました。 私は、溢れ出る涙を堪えようと、頑張っていると 喉元から「うっ!」という嗚咽が思わず出てしまいました。 死に直面した彼らの作品から、技術や豪華さをひけらかしたり、 競ったりする虚栄心は微塵も感じられなかった。 改めて思います。 芸術は、作者の思い、生きざまそのものを伝えるものであると・・・。 |
No. | Title | Contributor | Date |
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116 | 謹賀新年 | なおっち | 2006/ 1/ 1[SUN]0:23 |
114 | Re: ♪よかったぁ~♪ | 西浦達雄 | 2005/12/26[MON]23:04 |
113 | ♪よかったぁ~♪ | ☆花☆ | 2005/12/26[MON]17:55 |
112 | あれから一年 | ☆花☆ | 2005/12/24[SAT]22:19 |
111 | Re: ディナーショー最高でした!! | 西浦達雄 | 2005/12/23[FRI]0:13 |
110 | ディナーショー最高でした!! | 電光石火 | 2005/12/19[MON]20:06 |
108 | すべての球児達に栄光あれ!! | 禿ます会 | 2005/11/18[FRI]14:41 |
107 | 高野連エー加減にせー! | ししゅうりゅう | 2005/11/18[FRI]14:25 |
106 | 紫紺に染まらず | 亜紗実 | 2005/10/30[SUN]11:06 |
105 | ライブ出演ありがとうございました。 | カフェ&雑貨 アンダンテ | 2005/10/24[MON]15:23 |
104 | Re: Re: Re: Re: Re: 俺の歩幅は60cm | A | 2005/10/23[SUN]1:26 |
103 | はじめまして | 白い弾丸 | 2005/10/16[SUN]21:35 |
101 | Re: Re: Re: Re: 俺の歩幅は60cm | ねねきち | 2005/10/11[TUE]22:24 |
100 | Re: Re: Re: 俺の歩幅は60cm | 電光石火 | 2005/10/10[MON]12:26 |
99 | Re: Re: 俺の歩幅は60cm | キヨマー | 2005/10/ 8[SAT]23:42 |
98 | 残念・・ | 野球のマネ | 2005/10/ 8[SAT]21:03 |
97 | Re: 俺の歩幅は60cm | 電光石火 | 2005/10/ 7[FRI]22:04 |
96 | 俺の歩幅は60cm | A | 2005/10/ 4[TUE]11:53 |
95 | ありがとうございました。 | 富田林ボーイズ | 2005/ 9/29[THU]2:00 |
94 | 炎の5回裏 | Hiro | 2005/ 9/27[TUE]11:53 |
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